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 町の黒住教の信者で、毎月のお詣りの晩には、母子二人暮の戸締りをしたあと、幼い私を連れて講社へ行つた。講社は河のほとりの「カンゴク」と呼ばれた刑務所のはずれにあつた。子供の私には、刑務所の黒い高い長い塀に続いて、神様がいるのが不思議であつた。講社では、私は母の教える通りにカシワ手を打ち、母について「ノリト」を唱えた。「ノリト」の意味は勿論判らなかつたが、恐ろしい、気味の悪い言葉に満ちていた。
「ノリト」のあとには説教があつた。説教が初まると、私は必ず居眠りを初め、揺り起された時には、何時も母の膝に顔を埋めていた。私はあまり、丈夫な子供ではなかつたから、説教のあとで、よくオマジナイをして貰つた。
 老人の講師が、先づカシワ手をポン/\と打ち、手に息を吹き掛け、その手で私の顔や腹を撫でて呉れた。

 私は不覚にも狼狽した。そして電光の速さで前々夜のおぼろの記憶をたどつたが、彼女には膝までの靴下を用いる趣味はないはずだ。しかし、万一ということもあるから、おそるおそる電話でおうかがいを立てると「ご冗談でしょ」と受話器の音ガチャン。まさにやぶ蛇である。家人に何と弁解したか、これを読まれる方々のご参考に供したいが、実のところ、ぜんぜん身におぼえのないことだから知らぬ存ぜぬの一点張りであつた。
 その真相は今もつて判らない。多分エロスの神の使者が女に化けて、すでに女体に触れた靴下をひそかに私のポケットにすべり込ませ、少しばかり老人を燃え立たせたのであろう。

 アメリカ語のカラミティといふのは厄病神のことださうですが、どこか日本語の趣もあるやうです。私の風邪の神様は波止場の近くまで送つてくれましたが「どうぞお船が沈没しますやうに」と呪咀を吐ひて、カツ/\と踵の音を立てながら帰つてゆきました。
 波止場まで来なかつたのは、私の若い友人達が見送りに来る事を知つてゐるからです。
 私にも遠い昔に青年時代があつて、大きな船で外国へ出稼に行つた経験があります。その船にくらべて、別府航路の船の何とチマチマしてゐることよ。それでゐてチャンと船なのです。ドラも鳴りますし、出帆の汽笛も鳴るのです。すると眼と鼻の先にゐる人々が、船と陸からテープを投げ合ふのです。
 私の若い友人達は、私がさういふ事を好まないと思つてゐるのか、だまつて突立つてゐるだけで、誰もテープを投げませんでした。